(その四十七)アルバム

その子はアルバムのページをめくるのが大好きだ。どれほど輪郭がぼやけていても、いつも母親を大勢のなかから見つけだせる。写真のなかの、恥ずかしがり屋で過剰に自己防御する表情のなかに、彼は自分自身の女性ヴァージョンを認める。そのアルバムのなかで彼は一九二〇年代から三〇年代の母親の暮しをたどる。まず、チーム写真(ホッケー、テニス)、その次がヨーロッパ旅行の写真。スコットランドノルウェー、スイス、ドイツ。エジンバラフィヨルドアルプス山脈ライン河畔のビンゲン。母親の思い出の品のなかにビンゲンのシャープペンシルがある。片側に小さな覗き穴がついていて、崖の上に建つお城が見える。
 ときには母親といっしょにアルバムのページをめくることもある。もう一度スコットランドが見たいわ、とため息混じりに母親がいう。あのヒース、あの釣り鐘草。彼は思う。母親には自分が生まれる前の暮らしがあったのだ。よかった。なぜなら、いまの母親には自分の暮らしがないのだから。
 母親のヨーロッパは、父親のアルバムのなかのヨーロッパとはずいぶん違う。父親のアルバムではカーキ色の軍服姿の南アフリカ人が、エジプトのピラミッドやイタリアの都市の瓦礫を背にポーズをとっている。しかし父親のアルバムでは写真を見るよりも、そこにはさまっているパンフレットを見るほうが多い。それはドイツ軍機から連合軍の占領地にまかれたパンフレットで、兵士たちに(石けんを食べて)体温を保つ方法を教えていたり、グラマーな女性を膝に乗せてシャンペンを飲んでいる鷲鼻の太ったユダヤ人の写真に「今夜あなたの妻がどこにいるのか知っているか」とサブタイトルがついていたりする。青い青磁の鷲もある。父親がナポリの破壊された家のなかで見つけ、背嚢に入れて持ち帰ったもので、その帝国の鷲がいまでが居間の机の上に置かれている。


ジョン・M・クッツェー『少年時代』くぼたのぞみ訳 みすず書房 一九九九年八月三日発行 五〇〜五二頁
John Maxwell Coetzee,BOYHOOD-SCENES FROM PROVINCIAL LIFE