(その五)社会復帰プログラムの専門家

 ルーリオがアパートメントにひとりでいたとき、フリッツが帰宅した。
「買い物に出かけています」とルーリオは大男の質問に答えた。「お帰りなさい、リースさん。よかった。やっとお目にかかれて」
「フリッツだ」とフリッツは呼び名を指示した。「すっかり元気になったみたいだな。アルマはちゃんと面倒をみてたかい?」
 ルーリオは部屋が明るくなるような笑みを浮かべた。
「名前はなんだっけ? ジューリオ? ああ、そう、思い出した、ルーリオだ。さあて、ルーくん、ちょっと話をしようじゃないか。そこにすわって、顔をよく見せてくれ」フリッツは長々と若者の顔を眺めまわしてから、口の中でなにかつぶやき、満足したようにうなずいた。
「きみは自分のことが恥ずかしいんだろ?」
「え? 恥ずかしい? いやその――べつにそうは思いませんけど」
「ようし! だったらそんな長い話をしなくて済むな。もっと手短に済ませるために、まず最初にはっきりさせておこう。きみがどういう人間かはよくわかってるから、隠す必要はないんだよ。おれにとってはまるっきりどうでもいいことだし、穿鑿するつもりもない。いいかい?」
「わかってるんですか?」
 フリッツは呵々大笑した。「そう心配するなよ、ルーイ! 会う人間みんながおれみたいに真実を見抜くわけじゃない。おれの場合は、人間を見て、理解するのが仕事だからな」
 ルーリオは神経質に身じろぎした。「人間を見るってのはどういうことです?」
「手のかたち。歩き方、すわり方、感情の表し方、声の響き。ほかにもいろいろある。どれもささいなことだよ。ひとつふたつ、いや五つ六つとりだしても、なんの意味もないかもしれない。しかしぜんぶ合わせると――きみのことがわかる。きみという人間が理解できる。質問してるんじゃない、教えてるんだ。おれにはどうでもいいことだよ。おれなら、君が二度と袋叩きにされずに済むにはどうふるまえばいいかを教えてやれる、それだけの話だ。教えてほしいか?」
 ルーリオはなんの話高さっぱりわからず、途方に暮れた。フリッツは立ち上がり、ジャケットとシャツを脱ぐと、それをカウチの隅に放り投げ、大きな椅子にゆったり腰を落ち着けて体をくつろかせた。話すことが好きで、なにを言うべきかよく知っている男の口調で、フリッツは話しはじめた。前に何度もおなじことを話したし、自分が正しいことも、自分がうまく話せるのもわかっていた。
「人間の中で一生暮すくせに、人間に関するごく単純な事実を死ぬまで知らない人間がおおぜいいる。つまり、人間はおおぜい集まると人間じゃなくなるって事実だ。集団は怪物なんだよ。もし、ある集団をひとつの生き物と見なして、そのIQを知りたいと思ったら、集団に属する人間の知性を平均してから、人間の数で割ればいい。つまり、五十人から成る集団なら、みみず一匹以下の知性しかないってことになる。人間がひとりなら、そこまでのレベルの残酷さや無節操に陥ることはぜったいにありえない。集団は、自分たちと違っているものならなんでも危険だと考える。しかも、危険だと見なされる差異は、時代の移り変わりにつれて変わる。ひげを生やしているせいで集団に殺された人間もいれば、ひげも生やしていないことで集団に殺された人間もいる。口にした一連の単語はすべて正しいのに、その順番がまちがっているというだけの理由で殺された人間もいる。なにを身にまとうか、まとわないかの違いも、殺される理由になる。衣服、刺青、肌」
「なんて……ひどい」とルーリオが言った。
「『なんて……ひどい』」フリッツはその口調を完璧な正確さで、完璧な侮辱を込めて再現し、いつもの吠え猛るような笑い声を轟かせてから、気を悪くするなと言った。「まさしく、いまのきみの台詞こそ、おれの言いたいことのポイントだ。だが、その話はあとにしよう」椅子の背にゆったり体を傾けて、フリッツは演説を再開した。「さて、集団を刺激するあらゆる“危険な”違いの中でも、いちばんその度合いが強く、いちばん反応が迅速で、最悪の結果を招くのは、性的な差異だ。人間はだれしも、自分がどちらの性に属しているかを決定し、しかるのち、死ぬまでずっと、可能なかぎり公然と、その性になるべく努力しなければならない。ささいな例を挙げれば、男は男らしい服をまとい、女は女らしい服をまとう。その一線を越えてしまうと、哀れな末路をたどることになる。男は、男らしい外見と男らしい行動を求められる。権利じゃない、義務なんだよ。そして、男性社会がルールや規則としてどんなに妙ちきりんなものを採用しようと――騎士なら肩まで届く髪、シーク教なら腰までの髪、ババリア人ならクルーカットとか――その規則を遵守しなければならない。さもないと、とんでもないことになる。さてそこで、きみのような人間についてだが」
 フリッツは身を乗り出し、速射の練習をする狙撃手のように長い人差し指を曲げて見せた。
「きみは、ほかのあらゆる人間とおなじく、きみという人間だ。しかし、きみがきみであることは問題じゃない――そんなのは自明のことだからね――きみがどんなふうに扱われるかが問題なんだ。
 きみみたいな人間とふつうの人間との唯一の大きな違いは、長期的に見るとこういうことだ。ふつうの人間は自分の男性性を誇示し、それに固執しなければならないのに対して、きみたちはそうしなくてもいいと思っている。しかしおれが言いたいのは、とにかく人前では、正真正銘百パーセントそうしなければならないということだ。まわりに自分の同類しかいないときなら、心ゆくまでなよなよしたりくすくす笑ったり黄色い声をあげたりすればいい。しかし、そういう態度をふつうの人間に見られることはぜったいに避けなきゃいかん。まあ、そんな態度を一切とらなければなおいいんだが」
「ちょ、ちょ、ちょっと」ルーリオが叫んだ。「待ってください。その話と僕となんの関係があるんです?」
 フリッツは目を大きく見開き、それからまぶたを閉じてクッションにぐったり身を沈めた。心底うんざりした声で、「まあとにかく話を聞け。ようやく山場にさしかかるところで話の腰を折って、また最初からやりなおさせる気か」
「じゃなくて、ただどうしてそんなことを――」
「黙ってすわってろ!」フリッツは怒鳴りつけた。彼は怒鳴りつけることに慣れた男だった。「その女顔をぶん殴られずに人間社会で生きていく方法を知りたいのか、知りたくないのか、どっちだ」
 ルーリオは青ざめた顔でしばし立ちつくしていた。明るい瞳が小さくなり、怒りをたたえて細められた。フリッツの質問の意味がすぐには吞み込めず、時間をかけて頭にしみこませなければならないというふうだった。ゆっくりと、ルーリオはまた腰を下ろした。「じゃあ、つづきをどうぞ」
 フリッツはよしよしと言うようにうなずいた。「おれは下手な嘘をつくやつが大嫌いなんだよ、ルーイ。きみはさっき、ばれるに決まってる嘘をつこうとした。きみのことを理解している人間には、ぜったいに見破られるぞ……。まあいい。これがおれからのアドバイスだ。男になれ。じいさんでも男の子でもなく、大人の男になれ。そのために、プロのフットボール選手になったり、胸毛を生やしたり、女ならだれでも片っ端から口説いて回ったりする必要はない。やるべきことはせいぜい狩りとか釣りとか――でなきゃ、やった経験があるような口をきくだけでもいい。いい女とすれ違ったらふりかえってまじまじと見つめるとか、まあその程度のことだ夕陽に心を動かされたら、うなり声なり乱暴な言葉なりでそれを表現しろ。『あのベートーベンってやつは、やけにいかした交響曲を書くもんだぜ』とかな。人気のあるプロ野球チームみたいなのはべつにして、負け犬はぜったいに贔屓するな。ほかの男に対しては、いつもなにかでむかついているような態度をとり、向こうがちょっとでも謝罪するような言葉を口にしたら、その態度をさっさと改めるんだ。むかついてるような態度だぞ、ルーイ。いらいらした態度やむしゃくしゃした態度じゃない。そして、女どもには近づくな。女は十人のうち九人まで、おまえみたいなやつを正しく見分ける直感力を持っている。あとのひとりはおまえに惚れちまうが、それ以上のお笑いぐさはないからな」
「つまりあなたは」と、ややあってルーリオは言った。「人間が嫌いなんだ」
「おれは人間を理解している。それだけだよ。おれに嫌われてると思うか?」
「嫌うべきかもしれません。僕はあなたの思ってるような人間じゃないから」
 フリッツ・リースは首を振り、口の中で毒づいた。「ようし。わかった。薄っぺらいセロファンの仮面をかぶってるほうが気分がいいって言うなら、そうすればいいさ。きみがどうしようがおれの知ったことじゃない。おれが言ったとおりにするなら、男の世界で生きていける。いままでどおりにするなら、脳みそを蹴り潰される最後の瞬間にでも、おれのアドバイスは正しかったと認めてくれ」
「教えてくれてありがとう。そのことを調べるためにぼくはここに来たんですよ」
 錠がカチリとはずれる音を聞いてフリッツはぱっと立ち上がり、玄関口に駆け寄った。アルマだった。フリッツは妻の手から荷物を受け取り、キスした。キスしているあいだじゅう、アルマは夫の肩越しにルーリオを見つめ、キスが終わるなり歩いていって居間の戸口に立った。フリッツがそのうしろに佇み、見守っている。ルーリオはゆっくりと顔を上げてアルマを見ると、はにかむような笑みを浮かべた。
 フリッツは妻に歩み寄って肩に手をかけ、こちらを向かせた。いまこの瞬間、妻の顔を見なければならなかった。それを見たとき、フリッツは下唇を軽く噛み、「おお」と声をあげてから自分の椅子に戻った。彼はものごとの理解がはやい男だった。
 アルマは夫を無視し、ルーリオだけを見つめていた。「彼、あなたになにを話してたの?」
 ルーリオは答えなかった。カーペットだけを見つめていた。フリッツは椅子からぴょんと立ち、鋭い声で言った。「さあ、話してやったらどうだ?」
「なぜ?」
「話すと約束しろ、一言一句洩らさず。そしたら女房に車を貸して、きみを街の外まで送らせてやる。この街の人間じゃないだろ? ああ。きみらふたりは、たがいにそうする義務がありそうだ。どうだい、ルーイ?」
「フリッツ! あなた、気でも違――」
「そいつを説得して、言ったとおりにしたほうがいいぞ、ハニー。ふたりきりで会える最後のチャンスなんだから」
「ルーリオ……」アルマは囁いた。「行きましょう、じゃあ」
 ルーリオは大男をにらみつけた。フリッツはにやりと笑って、「一言一句洩らさずにだぞ、忘れるな。帰ってきたら女房を尋問する。もしちゃんとはなしていなかったら、おまえのかわりに女房に罰を与えるからな。アルマ、二、三時間で済ませろよ、いいな?」
「じゃ、行きましょう」アルマは硬い声で言い、ふたりは家を出た。フリッツは冷蔵庫からビールをとってくると椅子にどっかと腰を下ろし、げらげら笑いながら、胸を掻きながらビールを飲んだ。

シオドア・スタージョン「ミドリザルとの情事」 奇想コレクション『輝く断片』 大森望編訳(河出書房新社 二〇〇五年六月三〇日初版発行 四七〜五四頁)所収
Affair with a Green Monkey [Venture Science Fiction 1957/5]