(その四十六)仕込み

小沢 世話講談というものは、話にあまり偉い人が出てこないのが特徴ですよね。
神田 出ないです。庶民が主人公ですから。
小沢 たとえば『小猿七之助』はばくちから始まりますし、とにかく悪さをするような人が主人公になっている。
神田 二宮尊徳は出てこない(笑)。
小沢 それが、戦後の解放された時代のなかで、とても私どもの心を癒してくれたというか、うれしがらせてくれましたですね。そういう無頼な世界、不良の世界というもののムキ出しの人間くささ、その飾らない人情、風俗といいますかね。私なんかは今でも競馬が好きで、しょっちゅうやっているもんですから、ばくちの話なんかが出てくるととても共感がある(笑)。
神田 でもうちの師匠がね、入門したときに、「勝負事を一切禁ずる。碁将棋もいけねえ。その時間があったら講釈を覚えろ。でなきゃ楽屋で先輩の話を聞いていろ」と言うんです。「だいたいばくちは人間が卑しくなるからいけねえ。勝てば勝ったでケチなやつはすぐにやめる。そうでねえと、もうとことん人の金を借りてでもやるからいけねえ」と。それでいて、自分はばくちをやっているんですよね(笑)。だから、いまだに私は碁将棋が分からないですよ。
小沢 まあ、それはケッコウなことなんですけどね。
神田 あれは理屈に合わねえ(笑)。酒は飲んでもいいと言うんです。
小沢 そうですか。
神田 なにしろうちの師匠は、入門したあくる日に、私を吉原へ連れて行きましたからね。
小沢 あら、それはどういうことですか。人間として仕込んでやろうというわけですかな。
神田 いや、どうせ覚えることだから、いい学校へ連れて行ってやると。
小沢 なるほど。どうせならいい修行。
神田 で、泊まってこいと。それで帰ってきたら、「どうだった」。「まことに結構」と言ったら、「とんでもねえ野郎だ」と(笑)。それからは、吉原へ行っても怒らないんですが、その代わり、ただ遊んでくるだけじゃいけないと。女はどういう着物を着ていて、その部屋になにがあった、どういう扱いをしたと、微に入り細にわたり聞くんですよ。自分がだめになったから(笑)。
小沢 でも、そういう教育で世話講談の華がついてくるんですよね。
神田 そう。暇があったら吉原に行け、芝居を見に行け。六代目(尾上菊五郎)の芝居を見に行け。世話物のコツが分かるから。ただ、一人の女を二度買うな。惚れちゃいけねえんだ、それで数をこなせと。ひどい(笑)。女にとっちゃ非常に悪い客ですよ。
 吉本のごりょんさんもそうでしたよ。「あのな、芸人というものは遊びなはれ。遊ぶのはよろしおすけどな、ただ遊んだらあかんねん。一人の女を二度買うたらあかん。うんとおなごさんを買いなはれ。かたぎさんに手を出したら一緒にならなあかん。どんどんおなごさんを回んなはれ。そうすればあんたが看板をあげたら女がみんな来てくれる」と。
小沢 なるほど。
神田 客を集めるために金を使えと、いいことを教えてくれましたよ(笑)。
小沢 後援会を作れということですね。だけど吉本せいさんという方はやっぱりなかなかの方ですね。
神田 すごいですよ。子供でもこれはものになると思うと、元手をかけてくれる。借金をどんどんさせてくれる。
小沢 そうですか。
神田 でも気に入らない芸人はだめ。だからごりょんさんに気に入られなきゃ、もういい寄席へ出られない。
小沢 もう今や吉本せいさんを知っている方は本当にいなくなってしまいましたね。
神田 本当にすばらしい人でしたね。

小沢昭一小沢昭一がめぐる寄席の世界』朝日新聞社 二〇〇四年一一月三〇日 一五一〜一五三頁