(その九十一) 森繁久彌

 意地悪なところはあるし、偏屈のふりはしてみせるし、最初はあまり好きになれなかったとか、台本にせよ脚本にせよ、〈台〉や〈脚〉なんだからと言ってどんどん自分で直してしまうのが不遜に思えたとか、森繁さんについてはこっちが素直になれるまで、ずいぶん時間がかかったような気がする。何しろ当方、深刻好きで、お尻の先の青い文学少年崩れである。あんな軽口の胡散臭さに心を許してなるものかという構えがあった。本当は感じるところがあったのに、あんな下世話な人情芝居に流されてたまるかという、やはり身構えた矜持もあった。あのころの私は、お芝居を漢字や横文字で考えていたのだろう。ところが森繁さんのお芝居は平仮名だった。たとえば誰もいっしょに遊んでくれなくて淋しいお祖父ちゃんが、一人雨の窓を見ているというシーンを、あの人は、陽当たりのいい縁側で、田舎から出てきた愚鈍なお手伝いが嫌がるのを無理矢理押えつけて、襟足を剃ってやるという芝居に変えてしまうのである。けれど、この方がずっと可笑しかったし、悲しかった。あるいは、こんなこともあった。便器を製造している会社の創業者であるお祖父ちゃんは、会長に祭り上げられてからも商品の工夫に熱心である。書斎で本を西洋便器の形に積み上げて座り心地の研究に余念がない。という場面で、森繁さんはどうしてもその本が漱石全集でなければ嫌だと云い張るのである。それも、あのころなら誰でも見覚えのある岩波書店版の、篆書体で漢詩が書いてある装丁のものでなければ困るというのである。それも本番当日の思いつきだから大騒ぎになった。けれど言い出したらきかない。結局、小道具係が古書店を駆け回って間に合わせたが、これはちょっと他の人には考えられない非凡な着想だと、いまでも私は感心する。その非凡さをうまく説明することはできないが、とにかく可笑しいのである。しかも、上等の可笑しさだと私は思った。この話には、まだつづきがある。せっかく苦労して探してきたんだからと、その漱石全集をアップにしようとしたら叱られた。あれは多分、漱石だろうと思うからいいんだと森繁さんは言う。これは少なくとも漢字やローマ字の発想ではない。平仮名の上手さであり、味である。


久世光彦「弟子」『向田邦子との二十年』筑摩文庫版 筑摩書房 二〇〇九年四月十日発行 一一七〜一一八頁


 久世光彦は『蕭々館日録』において、西洋便器にまつわるエピソードを使っている。関東大震災後に東京や横浜に建築された耐震性集合住宅〈同潤会アパート〉に設置されてある、「水の流れる厠の構造」(ウォッシュレット)を説明する九鬼(芥川龍之介)は、まわりの人間にそのトイレの形が想像できないのを見て取ると、次のような行動を起こす。〈そこで九鬼さんは部屋を見渡し、父さまの本棚に並んでいる大正六年岩波版の『漱石全集』全十四巻を書斎の真ん中に積み上げ、それでも足りないのか、こんどは、やはり岩波の『鷗外全集』まで持ち出して、水洗便所を再現してみせる。あたしはびっくりした。西洋では、しゃがんでするのではなく、腰掛けてするらしい。しかもドアの方を向いてするのだから、もし急に誰かが入ってきたらどうするのだろう。お尻が見えるのも恥ずかしいが、正面から顔が合ったらもっと恥ずかしい。〉(三三三頁)
 三島由紀夫も小文で同様の趣向を伝えている。三島はその幼少時から連綿とつづく悪趣味を発揮して、「金ぴかな世界童話全集」を積み木よろしく縦横に並べて、自分だけの宮殿を作って遊んだ。『仮面の告白』の冒頭に描かれる産湯に浸かった盥の記憶。自己神話化の挿話。三島の文章には金太郎飴のように連綿とつながる彼の性向の不変性への自負しか読み取ることができない。橋本治が伝えるエピソードは小説家のなかでも出色のものである。橋本は、小学生でクラス選挙の結果、図書部員になった。本を読むことを知らなかった橋本少年は、倉庫に積まれたかたかた鳴る箱の山を発見した。それは、本棚に整理するときに外された全集本の化粧箱の山だった。彼は職員に頼んで、倉庫に眠る大量の空の箱を風呂敷に包んで持ち帰った。橋本少年がはじめて浮世絵や屏風絵の美しさを知ったのは、ページをめくる行為ではなく、化粧箱用に切り取られたデザインによってだった。のちの橋本少年の読書欲は、もっぱら本の背表紙に書かれたタイトルからの連想によって充足していたが、図書部員のときの「読書行為を通過しない書物との出会い」は、化粧箱の蒐集による色彩的な満足に限定された。