(その三十四) 佐伯祐三(1)

 佐伯にとってますます重要になってくるもの、彼の創作意欲をたえず掻きたてようとする根源には、ヴラマンクの放った怒号がまるで理解できなかったという、動かしがたい事実があった。佐伯にとって重要なのは、理解ができなかったというその一事にのみかかっていた。この決定的な事実に比べれば、ヴラマンクの容赦なしの批判が「アカデミスム!」の一語に凝縮された選択にどれほどの正当性があるかどうかなど、問題にすらならなかった。渡仏後まもなく佐伯はアカデミック・ド・ラ・グランド・ショーミエールに通い、裸体像を題材に繰り返し描いたが、しだいに自分は学校の従順な生徒ではないと感じ、絵を描く彼と被写体の親密な関係に横柄にも割り込んでくる指導というものに飽き足らず、ときには反発しさえした。ヴラマンクに見せることになった絵も、そうした葛藤のなかから生れたもので、学校の教育とは無縁だと思っていた。だが、それにもかかわらず佐伯が感じたのは、批判の絶対的なまでの正しさだった。それは畏怖をもたらすほどの正しさで、佐伯がその意味を理解できなければできないほど、ますます堅固で打ち勝ちがたいものに感じられた。原因にあるのはもちろん、初対面の尊敬する相手に浴びせられた罵声に対する気後れでもなければ、青年期から絶えず恩恵を受けてきた教育に対する不当な責任転嫁でも、それなりに出来がいいと自負した作品がけなされたことに対する行き場のない未練でもなかった。ヴラマンクのだみ声を支配していたのは聞くものがあっけに取られるしかない、かたくななまでの拒絶で、その理不尽とすらいえる言動が指し示すのは、決して到達できはしない教示だった。理解を逸するもの、想像を絶するものに出会ったという驚愕が、一枚のすばらしいカンヴァスと対峙することによってではなく、作品を評価してもらうというひじょうに世俗的な場面で不意打ちのように出現したことが、正しさの印象をより純粋にした。なぜなら、その場合の正しさとは、手に入れるものではなく一方的に与えられるものだったからだ。通達された怒声が鼓膜を振動させた瞬間、佐伯は手を差し出した。おずおずとではなく、ほとんど反射的といっていい律儀な身振りで。そのせいで、後年佐伯がヴラマンクの叱責のいくぶんかは早計な判断に基づいたものであったとみなしうるいくつかの確証を得たときでさえ、誤解はそれでも自分自身のほうにあると思ったのだし、ふたりを仲介した里見がこの出来事の核心にはヴラマンク個人の単純な好悪でなく美学的な判断が働いていると理解したのに対し、佐伯はまるで正反対に解釈し、こと芸術に関する限り、気分的で流されやすい一時の感情の方が信頼するに足るとかたくなに信じたのだった。叱責に頬を赤らめ、佐伯を捉えた最初の羞恥は、アカデミックな画風から十分に抜けきっていないという反省からではなく、アカデミックと非難されるほどには十分にアカデミックではないという奇妙なへりくだりによって生じ、その後も長く彼のもとに留まることで、絵を描くことでついに到達しえたと確信した感覚を急速に冷えこませ、よそよそしく、嘘くさいにせものにかえてしまった。芸術だけがもたらしうる偉大さへの憧憬や、画家としての全精力を注ぎこみ死後も残すべき作品を描けるかどうかという、青年期の佐伯にとっては漠然としすぎて世間並の上昇志向と気分的には一致していた問いは、彼を脅かしたこの出来事によって別種の光を投げかけられた。それは確かに違って見えたが光学的な詐術がみせる一瞬の幻覚かも知れず、もっとはっきりとした手ごたえを欲したが、佐伯に与えられた不確実な忠告は、考えれば考えるほど彼を突き放し、視界の届かぬ秘密をこしらえた。それでも生まれ出る渇望は、まったく徒労に終わるかもしれないという予感を絶えずつきまとわせ、求める答えのかたちを無断で変化させることで計算を狂わせた。この偶然が与えた試練に正確な応答ができないということが、なによりも応答の正誤がそもそも確かめ得ないということこそが、佐伯に苦痛を与えた。ヴラマンクとの邂逅後、佐伯は以前よりもずっとはやい速度で絵を仕上げ、ときには興奮を鎮めるためだけに街に繰り出した。絵が描きあがると足取りも軽くイーゼルを肩に掲げたが、それは内部に湧き上がる動揺のさざなみを抑えられたという自信からではなく、以前よりもはっきりとこの苦痛の正体を見極められたという気がしたからだった。苦痛はおぼつかない足取りを照らす光であったが、いつ消えるとも知れないとぼしい光であり、眼のまえに姿を現したときに限って間違った方角から差してきたとも限らなかった。だが、それだけが彼を照らし続ける唯一の光だった。佐伯は悔しさという内面がその決まった範囲でうごめかせる感情に一時的に逃避した――安全な場所にいつでも戻ってこられるよう誤認と気づいたあとでさえその感情を捨て去ることはついになかった――が、すぐにあのひと言が自己の運命に与える途方もない影響力に気がつくはめになった。なぜなら、この出来事は決して繰り返されることのない性質のものでありながら、画家のたどる生涯のうちでただ一度きりの教示ではなく、その後においても、いや、そもそも画家を目指そうとするまえから彼の人生を左右することになった重要な示唆のひとつの変奏に過ぎなかったのだから。あの初夏のオーヴェル=シュル=オワーズからの帰り路、佐伯は自らの身に降りかかった出来事を、批判というよりは、ある種の裁きと受け止めた。その意味についてもっと考えようとしたが、ただ闇雲に歩く速度が増しただけだった。