夢と歴史のスクリーン アモス・ギタイ『フィールド・ダイアリー』(1982)

 うたた寝が呼び起こした心地よい夢見心地が、ひとりの映写技師を重力から解放する。蒸し暑く狭苦しい映写室から一息に観客席をまたぐと、四角いスクリーンではおきまりの光景――美女が助けを求めて叫ぶ姿が映し出されていて、画面と距離を縮めるしかすべのない映写技師は,躊躇することなく飛び込んでいく。無邪気な欲望は夢を仲介してスクリーンに投射され、男は奥行きをなくした肉体の代わりに途方もない空間を手に入れる、いくら転がっても平らにならない地面と、目的の達成をことごとく挫く障害と、いつまでも輝きを失わない美女の微笑みとを。
暗闇のなかで目を凝らして眠る唯一の場所である映画館を舞台にして、チャップリンよりはキートンが見せてくれたこの見事なアクロバットは、夢と映画の限りない一致を示している。事実、夢と映画というふたつのスクリーンを行き来することは、映画を語る言説がもっとも好んで取り上げた比較だった。ハリウッドのヘイズ・コードの制定者は、スクリーンを大衆の教育的な鏡と捉え、金銭と理想の高さとが生み出す詩、成功のために必要な闘争とその後にくる休息とが生み出す詩を注入される、良き合衆国人になるためのすばらしい夢だと語っている。映画館で上映される夢のなかで、もっぱら教育を受けるのは自らを知るすべを知らない者だから、あの正義は力なりという古典的な社会原則を通して、あらためて弱者は弱者である意味を知り、強者は強者である意味を知るという(「夢は指定してやらねばばらない」)。
だが、やがて一本のリールが回りきるように、夢は目覚めにかわる。目覚めたあとに夢の辿った道程を追跡するのに苦労するように、夢は隠れてしまう。記憶のふちを滑り落ちた夢は、余韻すら残さずに消えてしまう。そのとき、あれほどの極彩色に飾られた夢の比喩は、たやすくなんの変哲もない四角い遮蔽幕に堕してしまう。夢は二度と復元されない、元のかたちと同じには。この困難を知りつつも過去を想起しようと決意する者だけが、スクリーンのあいだを通り過ぎていった失われた時間を追い求めることができる。ここでは、スクリーンの手前で見られた時間を夢と、その向こうに見られる時間を歴史と呼ぼう。夢と歴史のあいだには一枚のスクリーンがかけられていて、同じ映像を観ているつもりでも、ふたつの映写機から投影されたまったく別の映像が裏と表には存在する。その事実は滅多に気づかれないか、あからさま過ぎるかのどちらかであり、その場限りの二重露出とステレオが交じり合う暗闇のなかで、不安定さや軋み、不一致やずれが知覚される。この奇妙な二重写しの映画館では、手を振りかざしてなにかを叫ぶ男は、喜びに奮えて笑みをこぼしているようにも悲しみに泣いているようにも見えるし、新居に引越し自ら望んだ生活を手に入れた充足感を語る家族の背後で、ブルドーザーにすべてを破壊され故郷を追われた苦しみを切々と歌う哀歌が聴こえてきたりして、ふたつの映像を見て、ふたつの音を聞きわけたものは、どちらか一方だけが正しいと確信することはできない。たまたま選んで座った席で人々は違った映像とその解釈の配分を手にするのだが、映画が終わり、明かりが灯って顔を見合わせた観客同士ですら、そのことに気づかないまま立ち去ることもあるだろう。だから、ふたつの映写機の中間に置かれたスクリーンは、単にあいだにあるだけで中心ではなく、その最もすばらしい例を挙げるとしたら、グルーチョとハーポのマルクス兄弟が見せてくれたあの有名な鏡の場面であろう。愚劣で陽気な独裁国家の王から隠れるために、敵国のスパイはあろうことか王と同じ格好の縞模様のパジャマを着て眼前に現れる。ご丁寧にも髭まで塗って。ふたりはまったく同じ身振りをして、そこに鏡が存在するかのように振舞う。同じ挙動をする髭面の男が本当に自分であるのかいぶかしむ王は、相手を出し抜こうと策を弄し、ついにはそこにあるはずの鏡をつき抜け、相手と場所を入れ替わりもするのだが、さしたるもので相手も同じ動きをして反転するものだから、かえって自分自身が相手の分身だったかと得心する始末だ。よって、そこにあると思われていた境界は、実は存在すらしていない。それは恩寵のようにこの世界に現れるが、すぐにかき消えてしまう。では、この夢と歴史が相互に投射するスクリーンとは、いったいなにか。
アモス・ギタイの『フィールド・ダイアリー』(1982)では、このスクリーンがきっちり三度登場する。最初の場面は撮影中のカメラをさえぎろうとするイスラエル軍兵士の手によって生まれる。その瞬間、覆われた画面のほとんどは影になり、わずかな隙間からアモスを含む撮影クルーと兵士のやり取りがうかがえる。この影になった部分にタイトルである「Field Dialy」の文字が刻まれるのであってみれば、イスラエルの占領地のいくつかをめぐってユダヤ人とパレスチナ人の歴史的葛藤を描いたと説明されるこのフィルムが持つ表現論的構造が、画面をさえぎるスクリーンそれ自体にカメラのまなざしをぶつけることにあるといっていい。
人為的に作り出されたスクリーンは、なにも映し出さないが、カメラと被写体のあいだに現れることによって、隠すという行為そのものが必然的に示す原因と結果の倒置――隠す行為によってはじめて、隠そうとしている背後の後ろめたい存在が知れる――を示すばかりではない。実際、報道カメラをさえぎる手の映像など、ニュースでいくらでもお目にかかった経験がある。だから、止めろと言われて素直に従わない撮影のヌリート・アヴィブに類まれな勇敢さを実感することはできても、それ自体としては職業的良心しか示していない。このスクリーンは、一触即発の緊迫する場面にも、なごやかな場面にも現れる。続く遮蔽幕は、国連軍が支給する袋詰めされた小麦粉の山に座る老人と、チャドルをかぶった老婆のやりとりにおいて見られる。土地を没収されたために活かすことのできないたくましい肉体をもてあまし、積み下ろされた小麦粉の山を前に農家たちはぼんやりと佇んでいるが、そのような倦怠をよそに子どもたちは奇声を上げて走り回っている。画面に背中を向けた老婆は、荷車に載った小麦粉に腰を下ろす老人を見上げ、四方山話をしている。すると、いくらか居心地悪そうに横顔を見せた老婆は、頭に巻いた真っ白なチャドルをさっとほどき、大きく広げてふたりの存在を隠してしまう。視界をふさいだチャドルが肩からこぼれ落ちると、老婆はそそくさと画面を横切り、老人は小麦の仕分けをしていた男たちに、いたずら小僧を殴ってやれ、とけしかける。そこではじめてわれわれは、チャドルで作られた白いスクリーンの背後でなされたであろう提案(「うるさいガキどもを追っ払って」)と、老婆が感じたであろう気後れと照れ隠しとに思いをめぐらすことができるのであるが、ここでつつましくも示されているのは、人間の動機をめぐる典型的な行動を追うことではもちろんなく、カメラという存在そのものが作り出す自意識とでもいうものである。この自意識は、カメラを向けられるものだけでなく、カメラを向けるものにもひとしく突きつけられる。アモスが映画を志すきっかけになった、第四次中東戦争の従軍中に撮られた八ミリの空撮を観たものなら、カメラを向ける行為がそのまま撮影者の自意識につながるという思考をたやすく理解できるはずだ。地上に映し出された黒い機影は、大地と太陽の中間にある撮影者自身の存在を映し出している。
 映画の中盤で、一本のオレンジの木に向けられたカメラは、男が枝の隙間からするすると降りてくる、きわめて寓話的な場面を映し出す。樹上で居眠りしていた男は、まるで起き抜けに理由もわからず叱られた子どものように所在無さげだが、自分はパレスチナ人で、兄弟が相続する予定だった土地を「収容」された事実を訥々と語る。土地の権利書を紙切れ同然にしたこの事件が兄弟の将来をどのように左右したかはわからない、また彼らの取り分はどれだけのものになったのかも。仮に彼らが三人兄弟で、土地が三分の一になったのならうまくつくかもしれない妥協案が、彼らがふたり兄弟だったら破談するかもしれない。かつて天国でもこうした割り算が強制され、戦争が起きたのだから。だがともかくも、その男は奪われずに済んだ土地とともに残り、一本の樹の上で眠り込み、眼を覚ますとカメラの前で来歴を語ることになったのだ。話を終え歩き出した男は、さっきは自分の過去を告白しながら、ひどく緊張していたのが分かったか? と聞く。われわれがその率直さに感銘を受けるのは、むしろこうした何気ないひと言だ。男は自分が緊張していたとはいわず、緊張していたのがわかったか、と問うのだ。自分がイスラエル人の監督にしゃべっている姿を警察に見られたら、(ありもしない)密告のかどで投獄されたかもしれない、と続けて語りだす男は、しかし投獄されることを恐れてはいなかった――少なくとも口ではそう言って(「牢屋に入ったことはある」)、あのカメラを向けられた瞬間の畏怖について再び想起する。それは彼ひとりのものではない。畏怖は、カメラに向かってしゃべるものだけでなくカメラを向けるものにも等しく了解されてこそ、はじめて意味を持つ。この連帯感が生み出す感覚は、合意のうえの覚悟というよりも行きずりの共犯といったほうが正確なニュアンスを持ちうるなにかだ。そして、アモス・ギタイのドキュメンタリーほど、画面の背後を感じさせる映画はない。
映画の終盤、エルサレムからガザ地区を経由しテルアヴィヴを通って再びエルサレムに帰還する撮影隊は、三人のイスラエル兵士を映し出す。彼らはどうやら一仕事を終えたあとで、アモスとのやりとりからその直前に投石した少年を捕縛する事件があったことが知れる。撮影隊はおそらくその一部始終にもカメラを向けていたに違いないが、完成したフィルムには残っておらず、事の次第は過ぎ去った出来事として語られる。一番左に座る兵士が、自分たちはやるべきことをしただけだと答える。それに、なんために投石をするのか、捕縛した少年から聞き出そうとしていた、とも。アモスは聞く。「私たちがいなかったら、何を訊ねるつもりだった?」。兵士は簡潔に答える。「事実を話させた」。このやりとりのあと、真中に座っていた兵士――彼は仲間に向かって撮影隊としゃべってはいけないと何度も警告していた――が突然立ち上がり、会話をしていた左の兵士の前に立つ。こうしてわれわれはこの映画が示す最後のスクリーンに出会うことになる。それは軍服でできており、背中を向けて立ちふさがる兵士はマイクには聞き取れない説得を仲間内で行う。三人は立ち上がって歩き出す。将校を呼ぶと言ったのは説得された左の兵士で、真中の兵士が背負う無線機で通信がなされ、右の兵士がヘルメットの位置を気にする。こうして率直な会話は打ち切られる。冒頭でも見られた、警告、通報、排除。
 上映の最後の瞬間まで立ち会ったものにとっては、カメラが存在することによってありうべき事態が回避できたなどという安穏たる結論で満足することはできないだろう。つまり、年端もいかない少年の口を割らせ、真偽の定かでない供述を得るための兵士たちの暴力が、カメラを向けることによって未然に防がれた、などとは。この場面では、出来事の発端が省略されているために、かえって権力の執行を代理する個人がきまぐれのように素顔を覗かせる瞬間を印象深く映し出している。その顔はすぐに別の制服の陰に隠れてしまうのだが、個人と権力が取り結ぶ関係は明白だ。そのあいだには、なにか脈略なしに飛び移ることのできる深遠があって、思考の持続は片面でしか続かない。制服がその肉体を覆うものに望む役割を担うというやっかいな仮面は、たやすく自らの正当性を主張してしまうため、合理的な解釈が唯一の解釈であるような思考を横行させることになる。そして、正しさがすべてであるような世界ほど危険なものはない。歩き出した三人の兵士たちは、その後の事態がわかりきっているだけに、まったくの無関心であるように見える。のちにはパスポートや撮影許可証といった書類のいつ果てるとも知れない確認作業が待っているかもしれないし、不用意にカメラとフィルムを没収されたくない撮影隊は立ち去るかもしれない。だが、このふたつの帰結は結局は同じことなのだ。決まった手続きの繰り返しという意味では。こうして秩序は保たれる。宿舎に向かう三人の足取りは平然としていて、自分たちが見られていることなどもはや気にならないかのようだ。カメラを載せた車はしばらく兵士たちと並走する。気のせいか、一般車両よりも大きな幅のタイヤ音が、地面をきしらせる振動が背後に感じられる。カメラを見つめるのは、路上に停めた車のドアを開けて、撮影の様子を見守っていた男がひとり。だがそれも一瞬だけだ。撮影隊を乗せた車はやがて速度を増して走り出し、映画は終わる。
 『フィールド・ダイアリー』では、投石で捕まった青年がイスラエル兵士に両脇を挟まれて坂道を登る長いカットをわずかに除くと、民族同士の激しくも典型的な衝突の類は一切見られず、淡々と自らの現在の立場を語り過去を語る人々にカメラは向けられる。インタビューでは、ひとつの土地に住むふたつの人種がつかむであろう、将来の平和と共存が語られもする。ときには屈託のない希望を込めて、ときには諦念とともに、もしくは制圧する力の名のもとに。かつては夢とユートピアを描いた言葉の瓦礫に住む現在の人々にとって、希望の言葉はまだ失われていないが、映画がより確信的に招きよせてしまうのは、証言よりも語りえぬもの、人々がその等身大のからだで作り出す、さまざまな形態のなにも映し出さないスクリーンだ。それは、見るものがその場にいる瞬間にしか現れない。そこになにも映し出されないのは、スクリーンの背後から投射されるからだ。歴史はそのようにして、人間の示しうる最も身近な身振りのうちに刻印される――さえぎり、隠し、再び明るみに出す行為のうちに。