(その二十六) サマセット・モーム

 私は彼がじっさいはかなり暗い人間で、淋しがりやではないかと思っています。彼が七十歳の誕生日についてしるした文章はかなり陰気なものです。私が察するところ、彼はあらゆる意味で淋しい人生を送ってきていて、人間に感情的な興味はあまりないという態度をはっきりと表明していているのは自己防衛の手段で、ひとびとをひきつける表面的な温かみに欠けていて、そして、友情のほとんどがいかに表面的で偶発的であったとしても、友情のない人生ははなはだ陰欝であることを知っているかしこい人間なのです……私はこれを彼の作品から感じただけのことです。彼はおそらく世間的な意味での友だちをたくさん持っているでしょう。しかし、彼のために彼らが暗闇を照らす灯りの役割を果たしているとは思えません。彼は年老いた淋しい鷲です。
 どの作家も彼ほど完全に職業的ではありませんでした。彼は自らの才能に正確で恐れを知らぬ認識を持っていて、そのもっとも偉大な才能は、文学にはまったくかかわりがなく、むしろ、偉大な判事や外交官に属する性格と動機とに対する冷静で的確な把握力です。……彼は感情のために場面をつくることはできますが、感情そのものを伝えることはきわめて不得手です。彼の筋立ては冷静で、的確で、タイミングにいささかのあやまちもありません。……自分が冷静を失うことはないので、読者をとまどわせたり、うろたえさせたりすることは絶対にありません。彼はおそらく、考えついたままの文章を一行も書いていないでしょう。彼より劣る多くの作家がそれをしています。しかし、彼には愚かしさがないので、彼らのすべてより永く世に残ることはまちがいがありません。彼は偉大なローマ人になれたにちがいありません。
    レイモンド・チャンドラー『レイモンド・チャンドラー語る』(一九五〇年一月五日 ハミシュ・ハミルトン宛の手紙)D・ガーディナー&K・S・ウォーカー編/清水俊二訳 早川書房120〜121頁