開眼

 映画の撮影において、役者の開眼がいかに重要な要素かはひと言では語り尽くすことができない。主演を張るような役者にかぎっていうと――かれらの多くは傲慢で、鏡を眺めた時間がだれよりも長いという理由だけで被写体としての自己を絶対視するし、かといって、聞き分けが良すぎるのも始末に負えず、規律が取れているためにかえって共同の「役作り」が不可能になったりする。しかしながら、かれらが招き寄せたわざわいのほとんどすべては役になりきるためにかれらが踏み越えてゆく一番最初の跳躍台にすぎないのだ。あらゆる犠牲は払われるに値する。
地獄の黙示録』で起こったエピソードは、まさに主役をめぐるわれわれの偏見をなぞり、またそれを乗りこえるという点で参照に値する。
 カーツ大佐役のマーロン・ブランドは、一九七六年九月に撮影地のフィリピンに到着した。フランシス・コッポラは、ブランドを一目見るなり彼がカーツ大佐を演じるには太りすぎているばかりではなく、脚本に多大な不満を抱えて現地入りしたことを発見した。体重にかんしては、契約段階で念を押したにもかかわらず約束が守られなかったわけだが、そんなことはまだよかった。なによりもまずいのは、監督と役者が意見を交わすための拠りどころとなる原作の『闇の奥』に対して、ブランドが「あんなものは最低だ」と言い放ったことだった。監督は、頭を抱えて『波止場』に主演した偉大な俳優を見つめることしかできなかった。
 その結果、制作は一週間にわたって中止に追いこまれた。マーロン・ブランドは、滞在しているハウスボートから出てこなかった(かれの出演料である何百万ドルというギャラは、その大半がこの待機期間にたいして支払われることになった)。そのあいだ、ブランドはあいかわらず不満を周囲にあたりちらしていたわけだが、ひとつの偶然がそこに起こった。ことの経緯を知る人たちは、それはまったく唐突に起こったと考えたものだが、なかには、その偶然はあらかじめしくまれたもので、いくどかのすれちがいのすえにたまたま起こったにすぎないと考えた人たちもいたし、その偶然には主演俳優の気まぐれという僥倖が重なっていたことを見逃してはならないと強調する人たちもいたのだが、少なくとも一週間後にそこで起こったことは、マーロン・ブランドに劇的な変化を与えた。一週間後、かれは頭を丸めて現場入りし、こう言い放った。
「すべてがはっきりした。ずっとジョン・ミリアスのオリジナル脚本を『闇の奥』だと勘違いしていた」
 かれは、たまたまハウスボートに置き忘れられていた一冊の本を手にとり、何気なくそれを読んだ。最後の一行を待つまでもなくかれは理解した。彼が蛇蝎のごとく嫌っていたのは脚本のほうで、じっさいにはジョゼフ・コンラッド原作の『闇の奥』を読まずに批判していたのだ。
 現地入りして一週間後に気まぐれで原作を手にとった偉大な俳優であるマーロン・ブランドの威光はまだまだ止まなかった。当初かれは、自身があたえられた配役の名前が気に入らず(「アメリカ軍の司令官クラスにこんな名前のやつはいない。南部出身の華やかな名前ばかりだ」)、カーツ大佐という役名は“リーレイ大佐”という名称に変更されていた。コッポラもこの変更に同意し、「カーツ大佐」という台詞が出てくる場面はすべて“リーレイ大佐”に変更して撮影されていた。その多くは撮影済みで、もはや変更することは不可能だったが、原作を読んですべてを理解したマーロン・ブランドは、もとの“カーツ大佐”の方がキャラクターにふさわしいという動かしがたい真実を知覚するまでに達していた。結果、撮影済みのフィルムのサウンドトラックが録り直されることになり、劇中で“リーレイ大佐”と口にしたあらゆる俳優が呼び寄せられ、その名前を含むあらゆる台詞が録音しなおされることになった。急遽追加の仕事に恵まれた俳優のなかには、端役で出演した若き日のハリソン・フォードも含まれていた。フィルムを注意深く観察すると、ハリソン・フォードの口は「リーレイ」のかたちに動いているが、われわれの耳に届くのはよく知られた「カーツ」という音声である。