(その八十七) アンドレ・ブルトン

 同じ「ミノトール」編集室で、私はアンドレ・ブルトンとも知り合った。彼はもう、シュルレアリスム運動の英雄時代のように、方眼鏡や緑色の眼鏡をかけたりしてはいなかったが、それでも私は一目でブルトンだとわかった。整った顔立ちで、鼻はまっすぐに通り、眼は明るく澄み、額をますます秀でて見えさせる長髪は、巻き毛となってうなじに垂れ下がっていて、あたかもオスカー・ワイルドを見るようだった。ただし、体質がとつぜん変化して、一層精力的、男性的になったワイルドといった感じだった。彼の堂々たる風貌、ライオンを思わせる頭部、冷徹そのものの、重々しく、ほとんど厳めしい顔、極端にゆっくりした、折目正しく節度ある挙措動作は、彼に指導者としてふさわしい権威を与えていた。人々を魅了し、支配するために生れたが、また同時に、人々を弾劾し断罪するために生れもした、指導者としての権威を。エリュアールは私にアポロを連想させたが、ブルトンは人間の姿をまとったジュピターという感じだった。この澄み切った頭脳の持主が、決してユーモアを解さぬわけではないことを知ったのは、もっと後、私たちの間柄が親しさを増してからのことだった。私はフォンテーヌ街四十二番地の彼の家で過したある午後のことを思い出す。このライオンの洞窟は、アフリカの呪物、オセアニアの仮面、珍らしい、また風変りなオブジェ、シュルレアリスムの絵画や彫刻などで埋まり、異様な雰囲気をたたえていたが、彼はそこで、何時間にもわたって、私にアルフォンス・アレのコントを朗読してくれた。アレはその少し前から、シュルレアリスムの守護聖者の一人として聖別されていたのである。どれをとってみても、すべてとてつもなく滑稽で、また皮肉で、時には信じられないほどの残忍さを発揮しているそれらの短いメロドラマは、今でも私の記憶に灼きついている。ブルトンは登場人物の役を物真似で演じ、声を真似、一節一節、一語一語に抑揚をつけながら朗読した。今でも、彼のいわくありげなまばたきや、私をこんな風にして黒いユーモアの奥義に導き入れる満足で輝いていた彼の顔を、まのあたり見るような気がする… 彼はその時、まさに本来の面目を発揮していた。しかし、たしかに彼は反語や皮肉、辛辣な嘲弄といった、他人をやっつけるのに欠かすことのできない報復武器を巧みに駆使したものの、世界をその重力と宿命から解き放ち、一切のものを包容しにやってくる、ぴちぴち躍動する、微笑をたたえた真のユーモアは、彼のものではなかったように思う。彼は、慈悲心と同じようにおのずから生じるユーモアというものを認めるには、あまりにも自分の教義、自分の作品、また自分の行動のひとつひとつを、重大に考えすぎていた。ブルトンはその生涯のいかなる場合にあっても、自分自身を重大視しないではいられない人だった……。

    ブラッサイ『語るピカソ飯島耕一大岡信共訳 みすず書房 一九六八年一一月五日発行 一九〜二〇頁