(その八十六)辰巳カリギュラ

 辰巳カリギュラは、遊び人を自称する人がおうおうにしてそうであるように、とても几帳面だった。手ぶら、開襟、にやにや笑いに遊び人の特質を認める人は、本質を見誤っている。遊びは持ちうるすべてのエネルギーを消費するものであり、効率的に蕩尽しなければ、すぐにしけって燃え尽きてしまう。遊びとはそのように持続がむつかしいものである。辰巳カリギュラが年収の半分をパチンコで稼ぐようになったのも首肯ける。用心深く抑制の利いた彼は、CR機には見向きもせず、大損の少ない羽根物にしか手を出さなかった。二万円。足が出たときの上限を、彼はかたくなに守った。負けが立てこんだらすっぱり切り上げたものの、忸怩たる思いでエクセルデータに赤字で結果を記入することを忘れなかった。
 それでも、ドル箱をたやすく積み上げることができたバブルの時代を過ごした人間のひとりとして、月に外車を買えるくらい稼いだよき思い出を忘れることはできなかった。NTT株が四百万まで登り詰めたあの時代は二度とくり返されないだろう。もう新世界や田舎の寂れたパチンコ屋でしか見ることのできない名機の攻略ビデオを、店舗情報を確認するために買ったポータブルのパソコンで探し当て、オークションで競り落とそうと躍起になった。今でもV入賞の効果音を聞いただけで、機種名をそらで唱えることができる。なかには感動に震えが止まらない台もあった。とりわけ、ビッグシューター。初めて出入り禁止になったのは二一歳のときで、場所は立川のホールだった(現在この地帯はもっとも悪質な操作がなされている)。簡単な仕組み。黙視でわかる針の状態。よほどのことがなければ、止め打ちも見とがめられることはなかった。財布のなかに万札が二枚あれば、二、三時間後には立派な束に成長した。もちろんその反対もあったが、負けはすぐ取り返すことができた。そうして彼は存分にけたたましい時代を謳歌した。過ぎてしまえばあっとういう間だった。バブルが崩壊したあと辰巳カリギュラに残ったのは、三ヶ月分の生活費と、硬いスツールに座りつづけたために併発した、ヘルニアと切れ痔だけだった。
 くたびれたからだをだますように、仕事先に向かう彼は、これから始まる長い労働に溜め息をついた。なんども乗り越えることができた時間が、重くのしかかった。慢性的な疲労と根を張った怠惰のせいで、人々の顔は従業員用の通用口を出るときよりも、入るときのほうがかえってやつれているように見えた。それでも、着替えてしまえば気持ちは切り替えることができた。時間をやり過ごすすべは、だれでも知っている。肉体労働についたものならだれでも知っているように、外目には見分けのつかない休息の仕方を彼もまた身につけていた。疲れすぎず、怠け癖のつかない程度の休息の技法。不動のパントマイムにそのもっとも洗練された型を見ることができる、緩やかな重心の移動。かかとやふくらはぎ、特に腰にかかる負担を散らすために、目立たぬよう血流を促進する屈伸運動。余計な動きが眼につかないように、従業員用のおぞけをふるうトイレに駆け込んでから、初めてゆっくりと深呼吸した。考えることはほとんどなく、あるとしたら上司に報告することだけだった。すべての動作は決まりきったことで、失敗はないはずだったが、忙しさに馴れることはできなかった。自分の息子ほどのとしごろの社員に怒鳴られ、気落ちした心をなだめるように、ユニフォームをきれいにたたんでロッカーにしまった。通用口を出た頃には、ジェルで固めた髪の毛に心地よい空気が入り、足取りは軽くなる。バッグのなかからパソコンをとり出した彼は、翌朝に出向くパチンコ屋を品定めしながら、駅までの道を急いだ。次の仕事まであと二日は自由になる。どうせなら誰かを誘おうか。一円パチンコなら手軽だし、手取り足取り教えられる。そう思った辰巳カリギュラは、先ほどまでいっしょに働いていた若い面子を思い浮かべた。