(その八十五)Tる丘

 Tる丘のことで思い出すのは、いっさいのものに先立って存在するあの瞳だった。見上げることも見下ろすこともなく、ただ水平に物事を見通す瞳。Tる丘が顔を反らす。すると、秀でたほお骨に乗ったあのふたつの瞳が相手を貫き、後方の壁に突き刺さる。当の相手は自分が見られているというより、遠慮もなく潜りこまれた気がする。話をしても適当な相づちがなく、間延びしたTる丘の首肯きは、必ずといっていいほど会話を一拍遅らせた。「俺はこう思うんだ」、「……ふうん」。「それってこういうことなの」、「……なるほど」。会話のほとんどが共感を前提として交わされる世界においては、素直に納得が与えられないという状況は辛いものだ。こうして打ち切られたはずの話題はだらしなく引き延ばされ、つづく沈黙はさし出された譲歩となった。話の並べかたに自信のなかった者は、いたずらに慌てるはめになる。そして、意味もなく慌てなければいけない状況で、人はもっともよく誤解する。Tる丘の一拍遅れた相づちによって会話の沿岸地帯に吹き飛ばされたものは、凪のような波間に揺られてすがれるものを掴もうとする。そのために、Tる丘がおもむろに聞き取った話を一行にまとめ、短い感想を漏らすだけで、その効果は劇的だった。濁った水面が底を見通せなくするように、顎に手を当て納得を渋らせるだけで、ありもしない深みが彼の顔にもたらされる。途切れさすことのできない一方的なしゃべりを強制された人間は、あの巧妙な相づちを経過することによって、実際には自分の話がしっかり聞き取られているばかりか、理解されもすればなにがしかの興味を与えることができ、あろうことか正確に打ち返されてきたことを知って、余計に喜ぶはめになった。Tる丘の感想がいかに詰まらないものであったとしても――実際、彼はそれなりに広汎な知識を抱えていたにも関わらず、ほとんどは当たり障りのない受け売りだった――その詰まらなさの一端は話題の選択そのものにあるという印象が残った。手応えのなさは話し手の力量に関係し、相づちが遅れるのは区切りを作れないからだと反省した。徒労のような会話を終え、Tる丘のいつでも相手を見通す瞳に射抜かれた者は、口を閉じたときに安堵の感情を抱いた。あれほど戸惑わされた反応の鈍さは、そのもったいぶった調子によって、より丁寧に咀嚼されたと誤解されたのだ。話し終えた者がもう口にしたいことをなにひとつ残していないように、Tる丘の瞳はなにも見ていなかった。
 すべては星屑のように、途切れたままつながっていた。そうした状況においては、選択のよさだけが人間を測る基準となる。労せずして得られるものがセンスと呼ばれ、奇抜な調子が耳目を惹く。新たに作り出す野暮ったさよりも、すでにあるものからの選択の方が、感性を測るうえでの汎用性があった。その意味でカメラが格好のアイテムとなったのは、当然である。ファインダーが自分を写しだすことはほとんどなかった。それは、あくまでも日常性のさりげない一コマに光を当てる、観点を提示する道具にすぎなかったのだから。自分というものはなんら重要性をもち得ず、あるとすれば受信機としての機能の容量にのみ帰せられた。それは服装においても変わらない。肉体そのものよりも、肉体をおおい隠すものへの嗜好。ダウナーで、おしゃれな雰囲気。Tる丘の周囲には、一般的には趣味のいい人と呼ばれるような人間、すなわち、相づちを必要としない自己主張の強さを持つ人々が自然と集まるようになった。
 Tる丘が音楽を志したのは当然だといえる。彼が心を動かされるのはかたちのないものだった。かっちりと決まりきったもの、規範や規則、緩やかな儀式的身振りを要求するような公共性を、Tる丘は真っ先に軽蔑した。その態度は比較的幼少時に形成され、すでに完成されたものとなった。軽蔑心は、考えをひるがえさないという立場を固辞することによってのみ、妥当性を手に入れられる。したがって、その主張が幼ければ幼いほど、他人にとってはいよいよ打ち消しがたくなる(もちろん自分自身にも)。この真理は、彼の人格にふた通りの影響を与えることになった。子どものころから物怖じしない性格を身につけたために、Tる丘はかえってその時点で成長を止めてしまったように見えた。小さなからだに似つかわしくない憮然とした態度は、肉体的な成長とともに異質なものに変化した。それは、進化の途上で退化した骨が、小さなこぶとなって皮膚から突き出しているかのように、小さいながらも注意をひく特徴となった。かつての大人びた受け答えはただのこまっしゃくれた口調に宿り、世間を斜に眺める視線は他人を評価するときのいけすかない見下しかたに受け継がれた。Tる丘が世慣れた諦念を口にしたとしても、聞いたような繰り言をくり返したにすぎない。それでも、潜在的な批判者を遠ざけてしまえば、言葉はすんなりと受け入れられる。自分を受け入れてくれる人間よりも、Tる丘は聞き流してくれる存在を欲した。同意されることも、反対されることもなく、ただ聞き流してくれること。都合のいい人間とそうでない人間は、すぐに見分けがつけられるようになった。彼が求めたのは、いつまでも可能性のなかに漂うこと。未完成の泡のなかでそっと溜め息をもらすことだった。なぜなら、甘えられる世界では強がることもまた自由だったのだから。彼の核にはいつまでも未熟さが、それも好奇心を失った未熟さだけが残った。
 Tる丘が優秀だといわれたのは、ずっと昔のことだ。彼の仕事の速さは能率ではなく、手抜きによっていた。彼の進んだあとには不首尾のままの製品が高い確率で積み上げられた。彼にお呼びがかかるのは、十人中六人程度が納得すればいいような場面で、その六人が六割程度の理解で満足することができるというような特殊な場合(二次会の選定から株主総会まで)に限られていた。不思議だったのは、彼が四割かそこらの力で業務をこなせば、周囲の評価もまた彼が全力を出し切っておらず、四割かそこらでセーブしていると見なすにちがいないと、本気で信じこんでいたことだ。当然のように、Tる丘が四割で挑めば、彼の持ちうるすべての力は四割程度である。なぜなら、残る六割の力を放棄したことは、彼の持ちうる力量の覚醒されていない余白として判断されることはまずないといってよく、たんに彼は出そうとしても出せない目標を目指しているにすぎないと見なされるからだ。そのようにして評価とはシビアでかつ期待をかけないものなのであるが、彼の考えは違った。まるで残りの六割の力はしかるべき瞬間に発揮されるが、今はまだそのときではないと言わんばかりで、「こんなもんでしょ」が彼のかっこうの口癖になった。四割の力はまたたく間に彼の周りの人たちへの蔑みへと変わった。余力を残すことができる人間とそうでない人間との歴然とした差を、彼は自らのうちに見いだすことに成功した。自分の存在が、なによりの証拠だった。Tる丘はちゃんと叱られなければ悪気を感じることすらなく、本気で怒られればかえって激昂した相手をなだめなければいけないと思った。目上の人間に指示を与えられるときは、逆に相づちのタイミングを一拍速めることで、理解の速度を主張するのを忘れなかった。促されればしたかもしれないが、自分から頭を下げて謝ることはなかった。その意味で彼は徹底していた。徹底しすぎていた。失敗にもくよくよせず、間違いはだれにでもあることで、引きずらないのが賢明である。そう考えるTる丘にとっては、飽きっぽさこそが天分の証であった。ほとんどの人が留まるところで、選ばれた人間だけが通り過ぎる権利を手にする——人生において、彼は自分を試すチャンスを待っているつもりだったが、本当は真剣に生きたことがないだけだった。あのふたつの動じない瞳を揺り動かすものが、彼自身をおいてはほかにいないことをついに理解し得なかったがために、Tる丘はきわめて自分本位な男となった。