夏目漱石『続・軽音』
月日のたつのは早いもので、私たちもとうとう三年生になってしまった。
軽音楽部の同級生がみな同じ学級だというので、これは何かあるなと思っていると案の定、マドンナが担任であった。
何にせよ、かれらと同じ学級になれば便利には相違ない。
宿題の写しも頼めるし、修学旅行もこの面々で行けば楽しかろうと喜んでいたのだが
胃弱が「きみ、そろそろ進路のことも考えなきゃいかんぜ」と言い出した。
なるほど、三年生といえば進路決定の時期である。真剣に考えないと和君の言うとおりになるかもしれない、と
少し心配になったが、もともとが楽天家であるから、何とかなるだろうと思い直し
なに、そのうち考えるから心配いらない、と答えておいた。
とにかく、今は新入生を勧誘することが先決だ。
このままだと来年の部員は猫娘一人になってしまう。ことによると、廃部になるかもしれない。
これはいかんと部員獲得に乗り出したのであるが、なかなかうまくいかない。
心のどこかで昨年のように演奏を披露すれば誰かしら入るだろうとたかをくくっていたのであるが
演奏が終わって数日しても入部希望者が現れない。
さすがの猫娘も少し落ち込んでいたようであるが、今年いっぱいはこの面々で活動しようと開き直ってしまった。
猫だけあって、さっぱりしたものである。妙に感心した。
しばらくたって、修学旅行へ行くことになった。
京都に行くというので大原の三千院やら三十三間堂を見物できるかと期待していたのであるが
いつもの調子で楽器屋に入ってみたり、猿を眺めたりといい加減なものだ。
紬嬢などは大いに張り切ってみなに枕を投げつける始末である。
結局観光地などはほとんど回らず、デコ助とはしゃぎまわって教師にこっぴどく叱られた。
猫娘の土産にはキーホルダーを買って帰った。随分喜んだようである。
梅雨もあけ、期末試験もどうにかやっつけると、いつのまにか季節は夏になった。
デコ助の誘いもあり、夏期講習を受けることにした。胃弱と紬嬢も一緒だ。
勉強だけでは体に毒である、息抜きも必要だということで遊びにもいろいろ出かけた。
夏の歌謡祭にも行った、夏祭りでは花火も見た。
ほかにもいろいろ行ったが、きりがないのでこのくらいにしておく。
夏休みも終わり、秋になると、早いものでもう学園祭の準備をする時期である。
とはいえ、受験勉強をしながら、学校の行事をこなしながらであるから、非常に骨が折れる。
マラソン大会では途中にあるトミ婆さんのところで茶を飲んでいたらたいへん叱られた。
学園祭の学級発表では演劇をやった。デコ助と胃弱が大活躍したようである。
発表前日には泊り込みで練習をして、本番に臨むことにした。
マドンナも張り切って衣装を作っているようで、好きにするがいいと取り合わずにいたが
翌日、出来上がった衣装を見てみるとなかなか悪くない。今回ばかりはマドンナの衣装をきて演奏することに皆が賛成した。
幕が開くと、同じ衣装を着ている生徒が何人かいる。どうやらマドンナの発案らしい。
珍しく粋なことをする、と感心しながらも順調に演奏を進め
最後の曲目には妹の憂のために書いた曲を披露した。妹もいたく気に入ったようである。
演奏は今までで一番の盛り上がりを見せ、舞台は幕を下ろした。
演奏後、みなで部室へ集まる。一同満足の様子であったが
考えてみれば、もう高校での学園祭はないのだ、と思うとなんだか胸の奥がしんしんする。
出すまいと思っていた涙が溢れてくるには閉口したが、他の面々も同様らしい。少ししんみりしてしまった。
しかし、そうしてばかりもいられない。文化祭が終われば本格的な受験の時期である。
一人にさせては猫娘が気の毒であるからと、軽音楽の部室で勉強をすることにした。
第一志望は四人が一様にN女子大としている。
これは進路希望をどこにするか悩んでいた際に胃弱の提案で決まった。
胃弱などはN女子大を受験するために推薦入試を蹴ったぐらいだ。ずいぶん思い切ったことをする。
私は、小学生が小便に行くわけじゃあるまいし、みなが一緒でなくてもよいと思ったが
ほかに行きたい学校もなく、別段断る理由もなかったので第一志望にN女子大と書いておいた。
そうして皆で勉強して、第一志望のN女子大に揃って合格することができた。
その時はみな我を忘れて大きに喜んだものである。
さて、進路も決まったものの、やはり気にかかるのは卒業後の軽音楽部と猫娘のことである。
卒業式が終わりいつもの部室へ集まり、茶を飲んでいると、くだんの猫娘がやってきた。
紬嬢が「おかけなさい」と着席を促すと、でこ助が今後どうするかと尋ねる。
猫娘は気丈にも心配ないと振舞うが、そのうち涙をぽろぽろこぼし始めた。
どれ、ひとつ慰めてやろうと、梓のために紬嬢が書き下ろした曲を演奏してやった。
すると、泣きやんだばかりか、あまり上手くないですね、などと生意気を口にする。
相変わらずの猫ぶりである。これなら一人で置いても問題はあるまい。
ことによると、すでに入部する人間の見当をつけているのかもしれない。
これに安堵した私たちは後ろ髪をひかれながらも、懐かしい校舎を去っていった。
その後は相変わらず四人で楽器隊を組んで、まあまあ楽しくやっている。
演奏がたいへんうまいと学内でももっぱらの評判である。
猫娘が卒業したらまた五人で演奏しようと皆で約束した。
だからサイドギターの位置は空いたままである。