夏目漱石『軽音』

生まれつきの天然でゴロゴロしてばかりいる。

小学校の時分、調理実習で蛸焼きを作る際、蛸を忘れたことがある。

同級生の和が恨めしそうに見るので、蛸なしでもおいしいねと言ってやった。

おやじと母はやたら海外に出かける。

年頃の娘を置いて海外旅行もないものだ。

そのせいか、妹は家事をひととおり覚えてしまった。

この妹は憂といって大変出来た娘だ。

何かにつけて「姉上はやれば出来る人です」と褒めてくれる。

また、大変に世話焼きであるから

「姉上にもしものことがあっては大変」と家事を全くさせてくれない。

私は特段やることもないから家へ帰ればゴロゴロするばかりである

そんな私も高校にあがると、なにか部活に入ろうかと思い立った。

とはいえ運動は苦手であるし、文化系の倶楽部というのもとんと見当がつかぬ。

結局どこに入るか決められないままそのままにしてあったのであるが

ある日、同級生の和から「きみ、そのままじゃニートになるぜ」と言われてしまった。

部活をやっていないだけでニートもないものだ。

そうして、しばらく考えあぐねていたのだが

ある日、掲示板を見ていると軽音楽部という張り紙が目に付いた。

軽音楽、というものはどういうものか解せぬが軽い音楽と書くくらいだから

大方口笛でも吹くんだろう。気楽なものだ。

こう見えても幼稚園の時分にはカスタネットの演奏で褒められたこともある。

どれひとつやってみるかと入部届けを出したのがさっきのことである。

昼飯を食っていると、和がやってきて「きみ、部活は決めたか」と問うので

「軽音楽部に入った」と答えると大変驚いて

「それならギターは弾けるのか」と言う。

私は「なに、カスタネットができるから心配はない」と答えておいた。

放課後、軽音楽の部室である音楽室へ向かった。

和には心配ないと言ったが、実際扉を前にすると気が重いものだ

なかなか入れずにいると

「きみ、軽音部になにか用か」と声をかけられた。

どうやら軽音楽部の部員らしい

カチューシャで前髪をあげ、額をぴかぴかさせている。

返答しかねていると

「もしかすると、あなたが平沢唯か」と問うので

「そうだ」と答えると

「やはりそうか。ギターが堪能だと聞いている。さぁ、入りたまえ」

あらぬ尾ひれがついている。

これはとんだ勘違いの勘太郎、いやでこっぱちのでこ助だ。

面食らっていると、でこ助に部室に引っ張られ、着席させられた。


テーブルに着くと、他にも二名の部員が座っている。

そのうちの一人、西洋人風の容姿の大変美しい娘が紅茶とケーキを持ってきた。

茶店じゃあるまいし、学校でケーキもないものだと思ったが

せっかく出されたのだから、と勧められるままケーキを口にした。

なかなかうまい。これほどのケーキは銀座の一流店でしか買えまい。

この紬という娘は、おおかた、親が金持ちなんだろう。

もう一人は長身に黒髪。これもなかなか綺麗な顔立ちをしている。

さっきからやたらと西洋人の名ばかり口にする。

ジミーとは誰のことか知らないが、知らなくても困らないから黙っておいた。

しかしここにいる皆が私のことをギターが弾けると勘違いしているには閉口した。

このまま勘違いさせるのも騙しているようで気分が悪い。

思い切って「ギターなど弾けない」と言ったところ

一同落胆の様子であったが「それでもいいから入部してくれ」と言う。

茶店の看板娘じゃあるまいし、いるだけでいいなんてことがあるものか。

さっきから見ていればケーキを食べてお茶を飲んでばかりだ。

軽音楽の名を改めて放課後喫茶同好会とでもするがいい。

そんなことを思っていると

「せめて私たちの演奏を聴いていってくれ」とくだんのでこ助が口を開いた。

ものはためしだ。聴くだけ聴いてみようかしらんと「それじゃ頼む」と答えた。

曲目は「翼をください」いかにもガールズバンドらしい安易な選曲だ。

聴いてはみたがどうにもうまくない。これではまるでちんどん屋だ。

これなら私でもできそうだ。演奏が終わった後その旨を伝えると

少し気を悪くしたようであるが私の入部を快く引き受けてくれた。

そうして軽音楽部に入った私だがカスタネット以外の楽器は馴染みがない

どの楽器をはじめたものか思案していると

紬嬢が「ギターをはじめてみたらどうか」と言うので

それなら、とギターの担当に決まった。

しかし、ギターというものがいくらするのか、まったく見当がつかぬ

軽音楽部の連中に相談したところ

今度の休日にギター選びに楽器店へ行こうということになった

とは言うものの、ギターの値段もばかにならない。

聞けば安いものなら1万円台だが高いものになると数十万もするらしい。

なけなしの貯金をかき集めてみたが、これでは足しにもなるまい。

どうしたものかと考えていると妹の憂がやってきて

「姉上どうしたの?」と尋ねるので

これこれこういう理由でと話して聞かせると

憂が「私も今は持ち合わせがないから両親に頼んでみたらどうか」という。

果たして小遣いを前借りさせてくれるだろうかと迷っていると

「私からも頼んであげます」というので一緒に金を用立ててくれるよう母に頼んだ。

妹の口添えもあり、5万円を手にした私は意気揚々と待ち合わせ場所へ向かった。

途中の店でいろいろ買い物をした後、楽器屋へ向かう。

どれがよいかと選別していると

少し大ぶりではあるがとても趣味のよいギターを見つけた。

なんでもレスポールとかいうらしい。

たいへん気に入ったが25万円もするんじゃ、と逡巡していると

紬嬢が寄ってきて「これが欲しいのか」と問うた。

しかし持ち合わせがない、と答えると

しばらく思案していたようであるが、思い立ったように帳場へ向かい

程なくして満面の笑みで戻ってきた。

「それを5万円で売ってくれるそうだ」

驚いてよくよく聞いてみるとこの店は紬の父の系列店であるらしい。

なるほど店員も値引きするわけだが、しかし8割も値引きさせるとは豪胆なものだ。

とにかく、ありがとうと礼を言って支払いを済ませて店をあとにした。

さて、買ったはいいが弾き方がわからぬ。

途方に暮れているとジミーの黒髪がギターコードの教本を貸してくれた。

案外いいやつだ。名は澪というらしい。

早速ギターコードの練習にとりかかったもののなかなかうまくいかない。

そうこうしているうちに中間考査の時期となった。

和には勉強しなくてもいいのかと聞かれたが

何、今までだって勉強してなかったんだから、たいてい大丈夫だろうと言ったらそれぎり何も言わなくなった。

勉強そっちのけで練習していると、えらいものでだいたいのコードは覚えてしまった。

憂には「おねぇちゃんは集中するとすごいね」と褒められたが

試験の結果は散々で、成績順位は下から勘定したほうが早かった。

季節がすぎるのは早いもので学校が夏期休暇に入った。

澪の提案で合宿をすることに決まった。場所は紬嬢の別荘だそうだ。

なんでも本当に大富豪の娘らしい。

しかし海辺のスタジオつき別荘とは豪勢だ。聞けばプライベートビーチだと言う。

それならおもいきり遊んでやろうと水着を新調して、楽しみに出かけていった。

8月の太陽の光を受け、きらきらとひかる水面が眩しい。

憂も一緒に連れてくればさぞ愉快だろうと思いながら

学園祭に向けての練習をしたがる澪をよそに大いにはしゃいだ。

そんなこんなで夏期休暇も終わり、いよいよ文化祭という段になって

ある問題に気付いた。軽音楽部は正式な届出をしていなかったのだ。

申請をするにはまず顧問を探さねばならぬ。

話し合いの結果、山中さわ子という教師に顧問を頼むことにした。

山中先生と言うのはなかなかの美人で、生徒からの人気も高い。

いわゆるマドンナ教師というやつだ。

はたして顧問になってくれるか心配であったが、でこ助の計略により顧問になることを承諾してくれた。

そのときはでこ助のくせに悪知恵が働く、と感心したものだ。

とにもかくにも正式に部として認められ

文化祭での発表に向けて本格的な練習が始まった。

発表のためには歌い手を決めなければいけない。

皆が歌詞を書いた澪を推したが本人が頑として聞き入れない。

澪によれば、自分は胃弱で、人前に立つと腹が痛くなる。

歌など歌ったら死んでしまう、ということだった。

それならと私が立候補したものの、演奏しながら歌う、というのはどうしてなかなかむずかしい。

放課後、マドンナの家で稽古をつけてもらうことになった。

当日の朝、目が覚めてみると喉がいがいがする。

どうもおかしいと思いながら洗面所に立ち、うがいをする。

ひどく沁みる。どうやら練習をしすぎたようだ。

部室でその旨を打ち明けると一同驚いたが、仕方がないと澪を歌い手に立てることとなった。

発表は大成功に終わり、私たちは大いに満足した。

ただ、舞台袖に下がる際、転倒してショーツを見られた澪はひどく落ち込んでいたようである。

あっというまに季節は巡り、私たちは2年生になった。

妹の憂も無事高校に合格し、晴れて同じ高校の後輩となる。

春といえば新入部員。私たちも新入生獲得に向けて動き出した。

着ぐるみを身につけ、チラシを配ってみるが、なかなか興味を持ってくれない。

どうしたものかと軽音楽部一同、悲嘆に暮れていると

妹の憂が軽音楽部に興味があるという友人を連れて部室にやってきた。

うらなりのなすびのような顔をしている。名を純というらしい。

うらなりでも新入生には違いないと、私たちは英国給仕の服装で出迎えた。

この英国給仕の衣装はマドンナの力作であるが、これがまずかったらしい。

ごわごわした生地が邪魔をしてうまく演奏が出来ない。

仕方なくジャージに着替えることにしたのだが、脱ぐのに非常に難儀した。

あまりの体たらくにうらなり女史も呆れてしまったようである。

これでは入部も望み薄だろう。

デコ助などは、「もとはといえばむやみに衣装を着せたがるマドンナの責任だ。

あんな顧問なら沢庵石をつけて海の底へ沈めちまうのが軽音部のためだ」などと憤っていた。

くよくよしても始まらない、新入生歓迎の演奏で部員を募ろうと腹を決め、舞台に臨む。

幕が上がる前、澪にも歌い手になることを勧めてみたが、やっこさん相変わらずの胃弱とみえて頑なに拒むので

しかたがないから私が全部歌うと引き受けて、幕が開いた。

出だしの歌詞を忘れこそしたものの、演奏は大成功に終わった。

ここらで一番良い出来だろうと密かに喜んでいたのであるが

どういうわけか、一向に入部希望者が現れない。

かくなるうえは妹を入部させるかと算段を立てていると、たいへん小柄な娘が部室へ入ってきた。

聞けば、入部希望だという。

ギターは出来るか、ちと弾いてみろとギターを渡してみるとなかなかの腕前だ。

これはいい後輩が入ったものだと一度は喜んだものの

部活中の飲食を否定したかと思えば翌日にはあっさり受け入れたりと気まぐれなのには閉口した。

一度デコ助に「あいつはにゃあにゃあ鳴けば猫も同然なやつだ。」と言ったところ

「間違いない。案外正体は化け猫かもしれない」と答えた。

軽音楽部の中ではデコ助が一番馬が合うようだ。

そして再び夏期休暇がやってきて、新入部員の梓を交え、夏合宿へ行くことになった。

また紬嬢の別荘であるが、今年は昨年のものよりはるかに大きい。

この上まだ大きい別荘を持っているというのだから恐れ入る。

その夏も私たちは大きに遊んだ。

中でも梓のはしゃぎようはすさまじく、とうとう日焼けで真っ黒になってしまった。

到着した時には、先に練習をしましょうと盛んに言っていたのが嘘のようだ。

相変わらずの気まぐれだが堅物よりはいくらか扱いやすいと思い直し、よしとした。

夏期休暇も終わり、いよいよ学園祭の練習という段になってギターの調子が悪くなった。

聞けば、ギターというものは細かく手入れをするものらしい。

言われてみれば、買ったはいいが一度も手入れなどしていない。

元来、暇さえあればゴロゴロしていたい性分であるから、細かい手入れや掃除などは気が向かない。

これではギターも調子が悪くなるはずだと大きに反省して楽器店に持っていって直してもらった。

修理費は紬嬢の特権で無料にしてくれた。なるほど、お嬢様というのは便利なものである。

ギターは元の調子を取り戻したものの、その日からデコ助と胃弱の仲が妙な雲行きになってきた。

初めはいつものじゃれあいかと思っていたが、胃弱は本気で嫌がっているふうである。

なにやら剣呑である。今まで喧嘩らしい喧嘩はしてこなかっただけに、事態は深刻だ。

そう心配していると、翌日、デコ助は風邪をひいて欠席していた、大方、デコの冷えすぎだろう。

なにやら胃弱が見舞いに行き、仲直りしたらしい。人騒がせにも程がある。

そう思っていたら今度は私が風邪をひいてしまった。

舞台で着る衣装で一日過ごしていたからだろう。まったく、顧問の作る衣装を着るとろくなことにならない。

妹の憂が、よせばいいのに、私に成り代わって軽音楽部へいったようであるが、結局ばれてしまった。

その後、一度は軽音楽部へ顔を出したものの、どうも体調が思わしくない。

胃弱に、当日まで来なくてよいから、しっかり養生するようにと申し渡された。

胃弱の癖にいやに仕切るやつだ。

うんと眠り、栄養をとってみたが、なかなかよくならない。

こうして部屋で鼻をかんでばかりいるのもつまらない。

つまらぬが風邪を治さなければいけないことには代わりない。

うんうんうなっていたが、不思議なもので、当日の朝にはすっかり治っていた。

こうして意気揚々と部室へ向かったのであるが、途中でマドンナに出くわした。

「きみ、風邪の方はもういいのか」と尋ねるから

「おかげさまで、すっかりよくなりました。」と嫌味たっぷりに答えてやったが

やっこさん悪びれる様子もなく

「それなら一度職員室にお寄り。衣装を改良したから。」とこうである。

もう衣装はたくさんだと思ったが、渋々ついていくことにした。

防寒仕様というから少し期待していたら、なんのことはない、襟元に綿をつけただけの簡素なものだ。

ためしに着てみたら、これが思いのほかあたたかい。

これなら風邪をひく心配はない、と改めて軽音楽の部室へ向かった。

胃弱にはまず初めに部室へ来るべきだ、との抗議を受けた。もっともである。

梓猫などは大変ご立腹の様子であったが、撫でてやると落ち着いたようである。単純なものだ。

しばらくして、さぁ舞台へ向かおうかと腰をあげたが、ギターが見当たらない。

妹の憂が家へ持って帰ったらしい。

これは一大事と、その間の代役をマドンナに任せ、家へ走ってギターを取りに行った。

ギターをうんしょと背負い、来た道を引き返す。

その道中で今までのことを思い返してみる。

入学したての時分、どの部に入ろうか決めかねていたことを思い出した。

あの頃の自分に会ったら、なに、案ずることはない。じきにやりたいことも見つかるだろう、とでも

言ってやりたい気分である。悪くない心持だ。

そうして走って、なんとか次の演奏に間に合わせることが出来た。

でこ助に胃弱、紬嬢に猫娘も笑顔で迎えてくれた。

私たちの演奏は大盛況のうちに終わった。

これが私たちの2年生までの時分の話である。

               第一期 おわり